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茨木市安威村 秋景色 古代史の里山

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市街地限界

大阪府茨木市にある自宅は森林限界と同じ「市街地限界」付近で、歩いて数分のところからきれいな里山が広がっています。

ここから北のほうには住宅地はほとんどなく、となりの街はもう大阪府を越えて京都府亀岡市になり約25kmの彼方。

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広がる長閑さからは人口28万人の地方都市であるとはちょっと想像できません。

 

 最高の秋晴れ

昨日はまれに見る見事な秋晴れで、これは写真を撮らないと!とバイクに乗りあちこち移動しながら快晴を楽しみました。

雲ひとつない大快晴の下で、刈入れ直前の稲が見事に実っています。

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満タンになった稲穂は重そう。

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藤原鎌足墓所

この茨木市安威の辺りは実は非常に歴史が古い地域で、大化の改新の中心人物である藤原(中臣)鎌足の墓とされる「将軍塚」という古墳があります。

その場所も自宅から歩いて数分のところ。

 

ところが、隣の市である高槻市の阿武山にある京都大学地震研究所を拡張するとき、貴人の墓が出土しました。

現在は阿武山古墳となっています。「将軍塚」からは直線距離でほんの数km。

出土した最高級の棺に納められた被葬者は60歳前後の男性、肉や頭髪・衣装までも残っているミイラ化したほぼ完全な遺体でした。

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天皇クラスの豪華な副葬品と共に埋葬されていた人物は、大怪我を治療した後に死亡したと見られるとのこと。

藤原鎌足は落馬して腰の骨を折る大怪我の後、合併症を発症して死亡したとの記録があり史実と一致する。

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副葬品にあったピカピカ光る延べ100mにもおよぶ「金糸」藤原鎌足に送られた「大織冠」の名残ではないか?

 

この「大織冠」を授かった人物は史上二人のみ。

 

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ガラスの玉で作った「玉枕」これも天皇クラスの副葬品。

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などということで自宅近くの「将軍塚」よりも阿武山古墳藤原鎌足墓所であるとの説が有力となっています。

真偽のほどは定かではありませんが。

当時・昭和9年は大戦前夜、国体護持のために天皇の神格化は絶対に必要で天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」

天皇に近い人物の墓であるようなので、畏れ多いとばかりに軍部が介入して来て十分な調査をすることもなく埋め戻したそうです。

もっと詳細に調査をして、適切に管理をしていれば「高松塚古墳」以上の大発見であったとか。

ホントに藤原鎌足であれば日本書紀に名前が出てくる、古代史の著名人の「現物」が発見された!ということで世界的にも大発見であったことでしょう。

 

継体天皇のお墓も

第二十六代 継体天皇のお墓も、ここ安威にあったと古事記日本書紀に記述があるようです。

このことについても諸説が入り乱れており、古代史というものは確定することはなかなか難しいみたいですね。

高槻市「今城塚古墳公園」があり、「これこそが継体天皇の古墳である!」と、きれいに整備された市民の公園となっています。

近くに「サニーサイド高槻岡本店」(パン屋さん)があり、よく行きます。

 

 そんなこととは関係なく

栗はたわわに実っています。破裂しそうなくらい。

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 里山の片隅には真夏が残っていました。

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実はこんな小さな遅咲きのひまわりでした。

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 そうかと思うと彼岸花も。ことしはもう絶滅寸前。

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茨木サニータウンに抜ける小道。

この先にも古墳の名残があります。

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すすきは絵になります。

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明日からは雨の天気予報。

ひと時の秋晴れでした。 

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