初の1ヶ月オーバーの出張、マンスリーマンションに住む。
熊本県の震災復興の工事で、1ヶ月間以上の出張となりました。
今までの出張は長くて3週間程度。
それが今回はちょっと手間のかかる工事なので、1ヶ月を超えての作業となります。
1ヶ月以上も一人暮らしをするなんて初めてのこと
むさ苦しさ満点の「やもめ」になってしまった・・・。
この頃は自炊に目覚めたので、しっかりと料理ができるようにと宿泊先はいつものビジネスホテルではなく、「マンスリーマンション」を探しました。
色々吟味した中で条件が良さそうな物件を見つけ、契約・入居。
キッチンがあることは勿論のこと、今回は自転車を持って行くので1階でないと無理!
洗濯機があることも重要な要件でした。
こんな部屋。
見た目は綺麗ですが、築30年ほどなのでまあそれなりです。
角部屋のため窓が二面にあり、これは快適。
自転車を持って来て部屋の中に置いているために、部屋にいるときはずっと眺めていられることがGood!
LOOK 695 はカッコエエなぁ〜。
自炊の道具は「ダイソー」で揃えました。
しかし!自宅では決して使うことがないものばかりなので、帰る時は全部この部屋に寄付します。
外観はこんなん。
熊本市東区新南部の「ステイ新南部」
快晴の日曜日。自転車に乗れない・・・。
せっかくの快晴の日曜日で休日。
本来ならこちらのレース仲間と朝の6時から走っているはず。
各地にレース仲間がいるので、自転車を持って行った時には地元の皆さんと一緒に走っています。
今日も阿蘇山の山々を縦横に走りたかった。
ところが今回、ちょっとしたトラブルが。
先日、熊本市内を自転車で走っていると対向車が目前でいきなりのUターン。
激突を避けるためにフルブレーキングしたところ、バランスを崩し見事に大転倒してしまいました。
イったたあ〜。
運転していたおばちゃんは自転車は全く見えていなかったとのこと。
これは避けることが難しい!
でも不幸中の幸いで被害の程度は軽く、手首を捻挫したことと肘を少し擦りむいたくらい。
自転車はブレーキのブラケットが内側に曲がっただけで、無傷でした。
これが一番良かった! 身体は治っても自転車は直らない・・・。
どうも無意識にカラダを張って自転車を護ったみたいでした。
これだけで済んでホントによかった。
ほぼトップスピードで地面に叩きつけられたというのに。
最悪、車に横からまともにぶつけられていたかも。
以後気をつけます。街中では絶対に飛ばさない。
三日ほどで手首の捻挫の痛みはほとんど良くなったけど、大事をとって今日の最適の自転車日和は泣く泣くOFFとしました。
復興が進む熊本城を見学に。
狭い部屋の中にいてもつまらない(小人閑居して不善を為す)ので、マンションからほど近い熊本城を見に行くことに。
去年も出張の合間に見に行っています。あれからどれほど復興が進んだかな?
熊本名物の路面電車の水前寺の駅まで歩いて行こうとしたけど、あまりに暑くて遠くてカメラが重くて。
あ〜しんど!と思いながら歩いていると産交バスの停留所が。
行く先を見るとどうもお城の近くまで行っているみたい。
しかもあと10分もしないうちに来る。
路面電車も乗ってみたかったけど、もうこれはバスで行くしかない!
ちょっとだけ待つとすぐに来た!
のんびりと揺られて、「通町通り」という停留所がお城のすぐ前。
楽に来れてよかった。
日本三大名城の天守閣
バスを降りるとすぐ目の前に工事中の熊本城の天守閣が見えました。
最近になってようやく工事用の足場が取り払われ、屋根と最上部が現れたとのこと。
震災後のニュースで街の人が「お城が見えないと元気が出ない!」と何人も話しておられましたが、これを見るとなるほどなと思う。
日本三大名城と謂われるお城の天守閣をこんなに近くで日々見ていると、その威容が人々の心の中にしっかりと根付いて、もうなくてはならない元気の源なのでしょうね。
大阪ミナミの人にとっての「通天閣」みたいなもんかな? ← ちょっとちゃうな。大阪県人にそんな地元愛はありません。
ベタな後ろボケ写真を一つ。
「小さなお地蔵さんが熊本城の復興を見守っていました」とかなんとかが正しいコメントか?
傷ましい姿があちこちに。
これは「馬具櫓」というもので、馬を飼育していたところのようです。
オエ〜と吐き出したように無残に崩れて。
見学の順路に入る前に「虎之助」に挨拶しておかないとね。
行幸橋のたもとに鎮座しておられる。
広い敷地の中の道路はいたるところで通行止めとなっています。
あちこち崩壊していて危険なために。
要所要所にボランティアのおじさんがいて、警備とともに解説もしてくれます。
大変ですね。
お城の惨状とは無縁のように、季節は初夏。滴る緑が実に美しい。
案内看板の写真を真似て見ました。
Mac標準のレタッチソフトではこれが限界、フォトショップが欲しい!
(ライトルームでもいいけど)
アングルも構図もやっぱりプロには敵わないね。
復興は道半ば。前途は多難か?
綺麗なお堀も石垣は崩れたまま。
ひどく崩壊しています。完全に復旧する日は来るのか?
石垣を復旧する手順が解説されていました。
1.崩落状況の記録
2.崩落石材の番号付け
3.崩落石材の回収
4.石材置き場に仮置き
崩れた石材を元にあった場所に戻して再建するために、大きな石を一個一個を丁寧に取り除いて、集積場所に運び全部に番号を振る。
どの部分にあった石材か判別しないものも多いでしょうね。
確かに番号が書かれています。
気の遠くなるような作業やなぁ〜。
首の皮一枚は健在!
いよいよ本丸付近が見えて来ました。
あの有名な、首の皮一枚で繋がった崩壊寸前の戌亥櫓。
去年に来た時と同じ状態でした。よく崩れないもの。
櫓そのものは無傷に見えるので余計に哀れです。
いつドッサ〜と崩壊してもおかしくない?
やはり復旧工事の優先順位は天守閣の後になるのでしょうね。
工事の順番が回ってくるまで持ちこたえられるものか。
穴太衆の実力!
宇土櫓
ここの石垣は無事のように見えます。
これは築城当時のオリジナルで、後世の補修が入っていないのか?
そうであれば、度重なる大地震に耐える築城技術を持っていた穴太衆はすごい!
築城技術もさることながら、この優美な曲線。
石垣は最初は緩い傾斜で、櫓の直下はほぼ垂直。
これで敵は侵入できないようです。
しかも石垣の角には優しくRが付いている。
築城当時は真っ白でどれだけ綺麗だったことか偲ばれます。
大天守と小天守
清正公を祀っている加藤神社から天守閣の様子を見ることができます。
こちらのテレビニュースでも紹介されていました。
小天守は宙に浮いているように見えると。
確かに。
ただでさえ崩れそうな天守閣の形状を維持したまま、土台を作り替える。
ものすごい難工事だと思いますよ。
神となった清正公も全力で応援していることでしょう。
本殿では結婚式が行われていました。
奥ゆかしい雅楽の調べが聞こえて来て、いいものでしたよ。
見とれてしまうような美しい曲線を纏った石垣。
特にこの平面の接続部分。
滑らかな処理が穴太衆のセンスの良さを感じます。
お城の前の道路にある小さな石柱も倒れたままでした。
2037年に復旧完了との計画だそうで、あと20年。
難工事の連続でしょうが、一日も早い復旧を期待します!